「えいっと」
可愛らしい声と共にばらばらと砕かれたチョコレートが湯煎にかけられているボールの中へ入っていく。
入れて数秒もしない時間でなめらかに角が取れていくチョコーレート達。
その下ではまた一つになるためにとろりとした茶色の溜まりを作り始めている。
「あゆちゃんゆっくり混ぜてね」
「うん」
言われた通りに、あゆと呼ばれた別の少女がゆっくりとプラスチックのヘラでかき混ぜていく。
手つきから馴れない様が見て取れるが逆にその不器用な仕草が可愛らしさを演出しているから不思議な物だ。
そうこうしているうちにチョコレートはとろとろの液状の物体に変化していた。
あゆが軽くヘラを持ち上げてみるとすくい上げられたチョコレートがなめらかに引力の流れに乗ってゆったりとした滝を作る。
「名雪さんどう?」
「うん、それぐらいで良いと思うよ」
先程の少女……名雪はそう答えるとどれにする? と目で型を指し示す。
ハート形、星形、三日月形等々といった可愛らしい形のアルミ製の枠をちらりと見てあゆは首を振る。
「実はボク作りたい形があるんだ」
「そうなんだ。でも、この中にないの?」
名雪にそう聞かれ頷くあゆ。
もう一度並べられた型を見る。
思いつくような形は全部あるよね……そんなことを考えて首を傾げる。
「そこにあるようなのだと祐一君をぎゃふんと言わせられないもん」
名雪の様子を見て捕捉の言葉を口にするあゆ。
それを聞いて別の理由から首を傾げる。
「ぎゃふんって……バレンタインのチョコだよね?」
「うん」
あゆは名雪の言葉に特に考えるそぶりを見せるわけでもなくこくりと頷く。
「でも、祐一君いっつもいじわるするから、ボクもお返しするんだもん」
そう言ってぐっと拳を握るあゆ。
バレンタインに闘志を燃やすのは何時の世でも乙女として当然なのだろう。
まぁ、間違った事にその闘志が使われているのはこの際おいといて。
「いじわる?」
だが、反面名雪はあゆの言葉にきょとんとする。
うーんと考え込む名雪。
考え込む、考え込む、考え込む……
「……いじわる?」
思い浮かばなかったらしい。
「ほら、祐一君がいっつもボクにしてること思い出してよ」
「祐一がいつもあゆちゃんにしてること……」
うーんともう一度名雪は考え込む。
「えーと、一緒に出かけて、一緒に帰ってきて、一緒に御飯食べて、一緒にお風呂入って、一緒に寝てるだけだよね?」
それがいじわるなの? と不思議そうな顔をする名雪。
最後二つが年頃の女の子としてあっさり許容して良い部分なのかは常識的に考えると問題ある気がするのだが……
まぁ、本人が気にしてないなら問題ないのだろう……多分。
「い、いじわるだもん」
顔を赤らめつつあゆは言う。
「だってだって、一緒に出かける時は勝手に白くてひらひらした服を選んできてしかも着替えさせようとするし」
「そう言えば祐一そういう服好きだったよね」
この前名雪がロリコンっぽいよっと言ったら微妙に傷ついていたことを思い出す。
「あと、この前一緒に帰ってきた時はお姫様抱っこなんてしたんだよっ」
恥ずかしくてしばらく外に出られなかったーっとあゆは叫ぶ。
そのため、
「あれってあゆちゃんが途中で寝ちゃってたからだと思ったけど」
と呟いた名雪の言葉はあゆには届かない。
「あと、一緒に御飯食べる時なんてみんなの前で……」
顔を一層赤く染めてあゆは言いよどみながらぼそぼそと言葉を続ける。
「は、は、は、はいっあーんを強要するんだよっ」
「そういえば何時もやってるね」
仲良いよね〜と名雪がのほほんと言う。
「しかもボクがお風呂入ってるといっつも祐一君乱入してくるし」
「あれ? この前あゆちゃんのほうから一緒にはいっていってなかった?」
名雪が思い出したように聞く。
「ち、ちがうもん。ボクそんな事しないもん。祐一君が入ってるって気付かなかっただけだもん」
あせあせと真っ赤になって否定するあゆの言葉をあ、そうなんだとあっさり信じる名雪。 素直な子である。
「一緒に寝る時だって、『一人で寂しかったり怖かったりしないなら別々に寝るけど?』なんていじわるな顔して言ってくるんだよっ」
「うーん、確かにちょっとそれは意地悪だね」
うんうんと頷く名雪。
もしも、ここに彼女の親友がいたら華麗なつっこみを見せてくれたと思うと残念である。「だからボク……祐一君ばっかりそう言う事するし、しかもかっこいいんだもん。なんかボクばっかり祐一君の事で一喜一憂してるみたいで悔しいよ……」
きゅっと拳を握りしめうつむくあゆ。
「ごめんね。わたしてっきり二人でいちゃいちゃしてるんだとばっかりおもってたから」
名雪はそっとあゆを抱きしめると優しく言う。
その認識は間違っていないと思うのだが、残念ながらそれを指摘してくれる人物はこの場にいない。
「うん、わかったよ。私も手伝うから一緒に祐一をぎゃふんと言わせようっ」
「……ほんと?」
「もちろんだよ。がんばろう」
「うん、名雪さんありがとう」
こうして少女二人による美しい友情劇が繰り広げる中、バレンタインのチョコ作りは進んでいくのだった。
Non Sweet
そしてバレンタイン当日。
復讐(?)に燃える少女が一人、祐一の部屋の前に立っていた。
……30分程前から。
ちなみにその立っている愛だずっと手をノックしようと上げたり下ろしたりしている。
「うぐ、だめだよドキドキして……」
まぁ、そう言うわけであと一歩踏み出す勇気がもてないらしい。
ちなみに理由はここに来る前に名雪が言ったそういえばあゆちゃんバレンタインって初めて?という言葉にある。
初めての一大イベントという強烈なプレッシャーをかけられてしまったあゆとしては出鼻を挫かれたような物である。
「よし、こんどこそ」
そういって手をまたあげる。
その手がいきなり背後からきゅっと握られる。
「うぐ?」
不思議そうに後ろを見上げるあゆ。
「よっ。何か用かあゆ?」
見上げるとこれ以上となく見慣れた顔。
「うぐぅっ」
ぼんっと瞬間湯沸かし器のように顔面を沸騰させるあゆ。
つい、数瞬前決めた覚悟なんてこの不意打ちで一気に吹き飛んだらしい。
あゆはぱくぱくと口を金魚のようにうごかすだけである。
「えっとなになに?『祐一君にすっごく濃厚なキスをしてほしい』?」
祐一はあゆの口の動きを見て言う。
「ち、ちちちちがうよっ」
慌てて絞り出すように叫ぶあゆ。
祐一は冗談だよと笑うとちゅっとおでこにキスをする。
「っ!?」
な、なんでそういうことするのっ!?と叫ぶあゆ。
「だってあゆ可愛いし」
さらっと祐一は言う。
「うぐぅ……」
何も言えなくなって黙り込むあゆ。
祐一はにやにやとしながら後ろからあゆを抱きしめ、
「それでどした?」
と聞く。
「え? あ、えっと……」
祐一の言葉にきょとんとしたあと、考え込むあゆ。
「うぐ……なんだっけ?」
そして今の祐一の行動の所為で、何しに来たかが頭から飛んでしまっていることに気付き困ったような顔をする。
「何しに来たんだよお前」
祐一は呆れたように苦笑すると、頬に口づけするかのように耳元へと顔を寄せ甘えた声を出す。
「なら、思い出すまでこういう事してていいか?」
きゅっとあゆを抱きしめている手の力が強くなる。
「だ、だめだよっ」
あゆは真っ赤になりながら言う。
「なんで? どうせ俺に用があるなら、また来るんだろう?」
「え、あ、たぶん……」
「なら、二度手間じゃないか? だから思い出すまで一緒にいてやる」
「い、いいよ。一緒だと思い出せないもん」
「へぇ……どうして?」
「祐一君のこと……」
ばっかしか考えられないから……とあゆは口から飛び出しそうになった言葉をなけなしの理性で強引に飲み込む。
もし、口にしてしまってたらホントにそうなってただろう。
「俺のことなに?」
「な、なんでもないよっ」
「ふーん」
にやにやと笑う祐一。
なんとなく見透かされてるようであゆとしては悔しい。
「ところであゆ?」
「……なに?」
微妙に警戒しつつあゆは聞く。
「なんか甘い香りがする」
「……?」
祐一の言ってる意味が分からないあゆ。
特にあゆには感じなかったからだ。
「いや、お前からするんだけど」
不思議そうにしているあゆに告げる祐一。
「え? ボク?」
「ああ」
「……しないよ?」
自分の腕の匂いを嗅いで首を傾げるあゆ。
「いや、するって」
そういってあゆの首元に顔を埋める祐一。
「やっ、ちょっと祐一君っ」
「んーなんだろう……あーこれってチョコレートか?」
「ってチョコ?」
「ああ」
そう言われて思い出す。
さっきまで名雪とチョコを作っていたことを。
そして多分、自分に匂いが分からなかったのはもっと強烈なチョコの匂いでいたからだとあゆは気付く。
「というかここに来た理由を思い出したよ……」
「そっか、残念」
言葉に反して特に残念そうに言うわけでもなく、ぱっと身を離す祐一。
「……」
なんとなくそれがあゆとしては面白くない。
というかからかっていたのかと思ってしまう。
「それでなんだったんだ?」
「え、あ、なにが?」
「いや、ここに来た理由」
「あ、そっか」
そうだったと誤魔化すように笑うあゆ。
祐一は不思議そうな顔をしていたが、それで? ともう一度聞く。
「祐一君今日なんの日かわかる?」
「あゆ残念ながら俺の辞書にはカレンダーという言葉がないんだ」
「……?」
「というか自慢じゃないが今日が何曜日かもわからん」
「うぐぅ……ホントに自慢にならないね」
あゆは呆れたように苦笑して言う。
「今日は2月の14日だよ」
「あーあーなるほど」
納得したように頷くと言う。
「つまり、あゆは俺とラブラブな日を過ごしたいという訳か」
「え、いや、そういう事じゃ」
祐一の色々と過程をはしょった発想に、困るあゆ。
したいしたくないではなく、チョコを渡す機会がないと折角の計画が台無しになるからだ。
もっとも祐一ペースにすっかり乗せられている時点で計画が無いも同然になってることにあゆは気付いてない。
「わかってるって、みなまでいうな」
「……ほんと?」
祐一はにっこり微笑む。
「今日はずっと放さないでいてほしいんだろ?」
「うぐぅ、全然わかってないよ……」
やっぱり……とがっくり項垂れるあゆ。
「ほら、もっとバレンタインって言ったらこれって風習とかあるよね?」
「ああ、そういえばとってもあまーい風習があるな」
うんうんと頷く祐一。
「こう自分にリボンを結んで『わたしを食べてください』って」
「ちが……」
あゆがそう言いかけたところで祐一の顔が急に目の前に迫る。
「なるほど」
「あ、あの……なに? 顔が近いよ」
「だからチョコの匂いがする香水付けてるんだ」
「え、えっと?」
目線が合わさったまま外せないでいるあゆ。
鼓動は再び強く打ち鳴らされ始める。
「チョコの変わりに『わたしをたべてください』って事だろ?」
「……っ」
ぼんっと湯気が噴き出さんばかりにまで再び赤くなるあゆ。
「ち、ちがうっそんなんじゃない」
「いいって恥ずかしがらなくても」
祐一はそっとあゆの頬を撫でる。
「俺も甘い甘いあゆがすっごく食べたかったんだ」
どくんと鼓動が今までで一番強く打つ。
そして、動けないままのあゆにゆっくりと近づいてくる祐一の顔。
ぐるぐると頭の中が混乱する中で、あゆはふっと思い出す。
(そ、そうだ秘密兵器)
ずっと手の中にもっていたものを自分と祐一の顔の間に差し入れる。
「そ、そのまえにこれ」
「……俺としては後での方がいいんだけど?」
「い、いいから、ほら」
「まぁ、しかたないな」
そういって渋々といった様子であゆから離れる祐一。
そしてあゆから箱を受け取り開ける。
「なんだ普通のチョコレートも用意してたのか」
「というかそれしか用意してないんだけど……」
疲れたように言うあゆ。
「それで、なんでこのチョコ女の子の顔してるんだ?」
「だって、それボクだもん」
「は?」
あゆの言ってることにきょとんとする祐一。
「ボクの顔をチョコでつくったの」
「……」
無言でチョコとあゆの顔を交互に見比べる祐一。
そして一言。
「あゆの方が可愛い」
「え、あ、うん。ありがとう……」
祐一の言葉に思わずそう言う、そしてはっと気付く。
「ちがうのっ。そうじゃなくて」
「……?」
「祐一君のことだから、絶対ボクを食べたいとか言うと思ったから」
きょとんとする祐一にあゆは得意げに言う。
「チョコでボクを作ってみたんだよ」
どうかな? と胸を張るあゆ。
「いつも、ボクがやられてばっかりだったけど今日はそうはいかないよ。ボクの勝ちだね」「え、ああ、そうなの……か?」
どんな反応をしていいのか分からないといった表情の祐一にあゆは勝ち誇ったように言う。
「残念だったね。今日のボクはそんなに甘くないんだよ。だからこっちの甘い方のボクをどうぞ」
えへへ〜と嬉しそうに笑うあゆ。
祐一はしばし呆然としたが、ふと口の端をにやりと歪ませる。
「そっか、そっか。こいつは一本取られたな」
「ふふーん。でしょ?」
「いや、まさかあゆがそこまで頭が回るとは思わなかったよ」
「祐一君ちょっとそれ馬鹿にされてるみたいなんだけど……」
「いや、誉めてるんだって。今回は俺の負けだ負け」
「ほんとに?」
「ああ」
「嘘じゃなくて?」
「もちろん」
「……やったーっ! 祐一君をぎゃふんと言わせれたよっ」
わーいわーいと凄まじく喜ぶあゆ。
そんなあゆの肩にぽんっと祐一は手を置く。
「ところであゆ」
「うぐ?」
「俺、思い出したことがあるんだけど」
「え? なに?」
「いや、そういえば俺甘い物苦手なんだよな……」
「あ……」
その言葉であゆも思い出す。
祐一は甘い物を食べると吐き気がするとか言っていたことを。
「そっか、じゃあチョコレート食べられないね」
先程とうって変わってしょんぼりするあゆ。
なんだかんだ言ってやっぱり一人の女の子として好きな人にってのを憧れていたらしい。
「ああ、ごめんな。せっかくこんなに一生懸命だったのに」
「あ、ううん。ボクがもうちょっと考えれば良かったんだよ」
祐一君にぎゃふんと言わせる事に一生懸命になりすぎたのがだめだったんだと反省するあゆ。
祐一はそんなあゆを優しくなだめるように撫でる。
「まぁ、でもせっかくあゆが頑張ってくれたんだからな」
「え?」
「ちゃんと食べるよ」
「祐一君……」
こういう時の祐一は涙が出そうな程嬉しい言葉をかけてくれる。
だからあゆは祐一が好きなのだ。
ずっとずっと昔から……
「せっかくだから甘くないあゆの方を」
「……へ?」
祐一の言葉の意味が一瞬理解出来ないあゆ。
「それじゃ、いただきます」
「あ、ちょっと祐一君っ!?」
「いや〜やっぱ気が利くな〜二つ用意してくれるなんて」
「あ、だめだよっちょ、ちょっと」
「はっはっはっ」
「うぐぅーっ!?」
こうして今日も水瀬家の二階の一部屋であゆの悲鳴が木霊するのだった。
「あ、あゆちゃんどうだった?」
あゆがよろよろとリビングに戻ってくるとTVを見ていた名雪がそう尋ねる。
「食べて貰えた?」
「……うぐぅ、いっぱい食べられた」
「あ、そうなんだ」
「キスとか色んな事いっぱいされた……」
「じゃ、バレンタイン上手くいったんだね。それは、おめでと」
のほほんと名雪がそう言った瞬間、あゆの目が涙でにじむ。
「名雪さんのばかーっ!」
そしてそう言うと飛び出していってしまうあゆ。
「えっと……」
一人リビングに取り残される名雪。
何がなんだか分からないまま惚気(?)聞かされた名雪は呟やいた。
「ごちそうさまって言うべきだったのかな……」